こんにちは、僕です。
ごく最近の事で
あまり他言したくはないのですが….
どうやら僕は
名前を出すのも恐れる「あの人(ヴォ○デ○ート)」に
狙われているようなのです(汗)
その証拠にハリーのおでこの傷のように
最強の呪い”アバダケダブラ”を防いだ時の傷が僕の左膝内側に付けられたからです(泣)
直径6cmの範囲に稲妻のような切り傷が出来ているのです。
まったくもってこんな切り傷を負ったような記憶がないのです。
転んでできる傷でもなく
鋭利な物が刺さったような傷でもないのです。
ということは僕は
闇の帝王に狙われているという….
どうでもいい聞き流すべき内容をグダグダ書きましたが
お風呂の時にこの稲妻傷が痛いのです(泣)
これ一体なんなのでしょうか…。
そんな僕は
よく各地域の文化財な古民家や
寺や神社に行くことがあります。
まぁ もちろんメインは建物の構造や造りなど
建築を見る事が1番の楽しみで
神社なら御朱印を貰ったりできるという副賞があります。
それともう1つ楽しみがあるのです。
それは なんか何気ない通路にさりげなく貼られている
”一見 ありがたそうに見える文面”に目をやり勝手に解釈する楽しみです(笑)
たとえば こういうの見たことありません??
誰が何を想って何に対して
いつどこで書いたかに思いを馳せるのがちょっと僕は楽しみなのです(笑)
このね、”手書き”という所も想いが乗っかってて更に良い!
改行や文字の位置、大きさなどからも
色んな事が想像できます。
筆者が生存のまま書いていることから
ここでの「死ぬ」とは
人の生き死にではないことは明白です。
「いままでは」が他の字より大きく、行間を開けていることから
「これまで⇔これから」に大きな変化があったことを強調しているのがわかります。
死を感じるような大きな変化=心を失う
きっと筆者は失恋をしたのではないでしょうか?
友人の恋の相談やおせっかいを存分にし
恋の達人のように振舞っていた「おれ」
そんな「おれ」がフラれるとは!!!!
こんなに失恋とは苦しいものなのか。
…というような想いが籠った詩だと感じると
なんか妙に筆者が愛しく思えてきます。
見る順番としては1枚目⇒2枚目の順で
貼られていたので
1枚目を上の句
2枚目を下の句とすれば….
(恐らく違いますが)
失恋をし 傷心した「おれ」
そんな悲しさ真っ只中
これまで支えてきた友人に
逆に救われ慰められ心を落ち着かせてもらっている「私」⇦(※少し大人になっている)
しかし!!
そんな失恋の辛さも友人のありがたさも
綺麗さっぱり忘れ また新たな恋を探している「私」⇦(※成長はしている)
….というような詩にも聞こえます(笑)
これ「受験ver」などにも置き換える事ができます。
そんな事を眉間に皺を寄せ
顎に手をやり 難しそうな顔で読んでる「僕」
傍から見たらどう映るのかな?
ちょっと冷静に客観的に考えると…
気を付けようと感じました(笑)
※1枚目は狂歌三大家の1人大田南畝先生の辞世の句です※
(意)昨日まで人のことかと思いしが、俺が死ぬのか、それはたまらん
Written by 澁谷大地